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明治以降昭和初期公文書

天文台明治・大正時代の書類群調査

旧図書庫に残されていた「庶務書類」、「会計書類」の明治21年から大正末まで、昭和初期の書類がある。天文学史上、これまで語られてきていない歴史をその中に見ることが出来ることから、調査し、不十分ではあるが、項目リストを作成した。【伊藤節子 2006年8月26日】

1.はじめに

「会計書類」他が100冊ほど残されていた。どのような事情で、誰によって、その場所に置かれたかは分かっていない。中には水をかぶったと考えられる書類の綴りや、バラけていたのもある。また、必ずしも箱の中に順番に収められてはいなかった。

1997年7月18日、当時の図書室係長から知らされて、煉瓦建物の旧図書庫階段下にあった55×77×29.6cmの蓋付の木箱2箱を開けた。中に明治21年以降、昭和初期までの「庶務書類」、

神田泰氏(元国立天文台教官)、伊藤節子の2人で、箱の中から資料を取り出し、埃を取る作業を何回か繰り返し行った後、旧図書庫全体での桴がおこなわれた際に一緒に桴された後、新貴重書庫に入れられた。内容については、一部、神田泰によって調査されたが、記録として残されなかった。今回、昭和については、内容項目を取らなかったが、明治、大正時代の書類については、細項目をとり、天文学史の史料として活用されることを願って、リストを作成した。

2.資料の概要

国立天文台が、旧海軍水路部、内務省地理局、東京帝国大学天文台の統合により、東京帝国大学理科大学付属東京天文台として麻布に発足した明治21年(1888)から、昭和12年(1937)までの約50年間の「庶務書類」、「会計書類」である。いずれも、A4サイズの板紙の表紙が付けられている。中に綴じられている書類の大きさは様々である。それらの年代と冊数は以下のようであるが、他に「大正十四年二月以降/理科年表受払簿/東京天文台」などの別書類がある。また、バラけた書類の束もあり、それらは、「その他」の書類群に入れた。明治時代の書類は、明治20年代、明治30年代、明治40年代に分けて、表を作成している。大正時代については、大正以降、大正会計書類に表を分けた。

「庶務書類」

明治21年から明治45年。26年ごろまでは「事務簿」と表題されている。27年から31年までは欠けている。大正2年から大正15年までの間に、10,12年が欠けているが、大正12年に起きた関東大震災に依るかもしれない。昭和は3年から7年まで。

「会計書類」

明治21年から明治45年まで。欠年なし。明治21年については、会計、庶務書類と分類されているわけではない。27年の書類は冊子体がバラけた状態で残されていた。
大正2年から大正15年まであり、庶務書類と同様、12年の書類が欠けている。

昭和は2年から12年まで。昭和以降になると、事項ごとに書類が細分化されていく傾向が見受けられるが、ここではふれない。「その他」に表題のみ記した。

明治三十三年には、別にもう一冊書類があり、「仏国ぺー ゴーチェー/子午環購入一件書/東京天文台」とあり、書状控、その中にはフランス語の書類も含まれている。 表題に「庶務」、「会計」と記されているが、内容を見ると、現在の感覚で考えるそれらではなく、もっと広い範囲の書類が含まれており、研究に関わる事柄も見える。これらの書類群の中には、天文学史の上で、傍証で語られてきた事柄や、不明とされてきた事柄が書かれていて、貴重な資料群と考える。

これらのことを踏まえ、調査の際、何年度書類とするだけでなく、出来るだけ、内容に踏み込んだ項・Eレ題を取ることを目的として、明治、大正時代の書類について、1冊ごとに内容の項目をとった。年によっては索引があり、それに付した番号があり、書類事態にも番号がふられている場合はそのまま使用した。しかし、索引のない書類が大半であり、しかも、番号がふられていないことが殆どである。その場合、書類事態にも番号は付されていない。この場合は、索引に書かれていた項目題を参考にしながら、内容を読み、伊藤が項目題をつけたが、言葉の使い方も現代とは異なっており、必ずしも正確でないかもしれない。また、備考欄に宛先などを付したが、一様ではない。他に、今となっては歴史上のことではあるが、人事に関する記事については意識的に、ラフな表現にした。書類に付けられている文書番号は、この目録では取っていない。書類群自体が時代によって、変遷していることもあり、表現は年代によって、異なったかもしれない。番号については、索引に書かれている番号を順番号として付けた。伊藤の付した番号も、索引に習い、表紙の次に閉じられている書類から、順に番号を付けた。

書類の多くは「こんにゃく版」で刷られているが、始はいちいち注にしたが、ほとんど全ての冊数の中に、この「こんにゃく版」が含まれていることがわかり、記していない年の綴りが多い。このことは、内容が消えていく可能性も秘めていることである。中には薄くなって読みにくい内容もあった。出来るだけ、陽にさらさないことが必要である。

これまで知られている事柄で、理由のわからなかった「明治36年暦より日の出入り時刻の決定の際に、太陽の上辺が地平線にかかる時に改定」の事情がわかったこと。明治24年5月24日の皆既月食の間違いがあったことは知られていたが、その内容については、この資料に記されており、さらに明治22年7月13日の月食についての誤りも書かれていることなど、また、『方円星図』を描いた石坂常堅の略歴の大元も書類群の中にあったなど、資料的価値のある文書である。こまかく、資料を吟味する必要があるだろう。

3.おわりに

始の計画では、項目題に、ふり仮名をつけ、検索できる表を意図したが、各冊ごとの項目題を調べるだけでも、1年以上かかってしまった。完全な表にするためにはこの先、何年かかるか、不安になってきた。不完全ではあっても、これからの研究の手引きとしては使用できると考えて、ここで、まずは中間報・垂ニして、紹介するものである。 先に紹介した神田泰氏の了解を得て、調査の一部分を使わせていただいた。また・A調査している段階で、不明な点について、元天文台助教授中村士氏、電気通信大学准教授佐藤賢一氏にご教示を受けた。感謝したい。

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