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今井いたる文庫

目録リスト

今井いたる氏の著作(全文)

資料解説

  1. 「車軸の雨」
  2. 「毘首羯磨」 I,II,III
  3. 「科学史講義ノート」 I,II

1と2は、彩色和紙の表紙で和綴じにし、2色刷りのガリ版にした今井さん独特の科学史の論考私家版である。今井さんの私家版でよく知られた『天官書』に比べて、配布されたとしてもごく少数だったらしく、当時を知る関係者で聞いても知っている人はいなかった。今井さんの思い入れが込められていることがよく分かる手のこんだ小編である。

  • 「車軸の雨」は、”車軸(の雨)”という言葉を、漢訳のインド宇宙観・世界観、日本古典の中に渉猟した論考で、別に”古代星界植物考”という論文も含まれる。
  • 「毘首羯磨」は3冊から成り、IIではこの漢字タイトルに並べて、"Vissakamma"と書かれている。
    これはインドのパーリー語で、”造物主”といった意味だそうである(大橋由紀夫氏の教示)。 各冊には以下のように、数編の論文が含まれている。
  1. I.1906-1986 紀念冊
    蘭学時代のメートル法/宿曜地震占考/伊縫楽
  2. II.1989 Oct.
    綺盡/神武紀元再論/大晦日の蒔砂/長池の和算家?
    西岡天極斉
  3. III.1988 Nov.
      都利津斯教について/天竺の海/算用算木占
  • 科学史講義ノート」I,IIは、京女といった略語と共に時間割が付されている。年代は不明だが、関西の大学で行った講義ノートであろう。
[2002.07.09/中村士]

今井いたる氏について

今井いたる(サンズイに秦)さんは明治40年、長崎に生まれ、年少時代も長崎で過ごした。 今井さんの略歴を以下に示す。

  1. 昭和元年〜昭和7年(1926-1932):
    東京天文台に奉職して、彗星の軌道計算などを行なう。神田茂、小川清彦らと同僚になり、天文学史、科学史に傾斜していく。
  2. 昭和7年〜昭和18年(1932-1943):
    上海自然科学研究所に在職。中国各地 の測量業務に従事しながら、中国の古典籍と歴史遺跡を渉猟して多くの中国科学史の新知見を得る(これは後に、処女作『中国物理雑識 全』(昭和21年)としてまとめられた)。
  3. 昭和19年以後〜:
    病を得て帰国、療養生活をおくる。
  4. 昭和26年〜昭和46年(1951-1971):
    深泥ヶ池の京都大学地学観測所に勤務、地震計の観測などに従事。
  5. 平成2年(1990):
    6月14日、逝去。享年84歳。

今井さんの最大の学問的業績は、私は次のものであると思う。16世紀後半から17世紀始め、日本が鎖国する以前は、日本人は倭寇や御朱印船貿易者として南海を飛び回り、最も自由で独立した気風を謳歌していた時代であった。この時代の日本天文航海学史を、今井さんは幅広い科学史的知識と古典語の驚くべき学識によって明らかにした。この時代の科学史を本格的に研究しようとすれば、英・独・仏語、漢文は言うに及ばず、ラテン語、ギリシャ語、アラビア語、南蛮人の言葉であるポルトガル語、スペイン語の文献を読解する能力が要求される。今井さんはこの困難な能力を、組織的教育も受けずにほとんど独力で身に付けた希有の人であった。こうした研究の過程で今井さんは、今井文庫に収められた各国語の稀こう本を蒐集していったのである(大崎正次さんによる今井文庫の紹介文も参照していただきたい)。

それらの成果は、ガリ版刷りの論文シリーズとして、昭和30年代、ごく一部の研究者の間にだけ配布された。”幻のアンソロジー”と言ってもよい『天官書』シリーズである。私は中学・高校時代、この『天官書』をたまたま瞥見する機会があったが、分らないなりに強い憧れと尊敬の念を抱いて眺めた記憶がある。

今井さんの如き古典語の学識を今に身に付けるのは至難の業であるから、『天官書』の業績を越える研究はいまだ皆無と言ってよい。この意味で、『天官書』は極めて貴重な天文航海学史の史料であある。

なお、今井さんの略歴を書くにあたっては、故大崎正次さんのメモを一部参考にさせていただいた。
[2000.09.14/中村士]

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