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貴重資料展示室

渋川春海と「天地明察」III (2012年10月26日〜2013年10月)

天文成象

「天文成象」元禄十二年(1699) 保井昔尹 1巻(番号:3794、マイクロなし)

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「古今交触考(ここんこうしょくこう)」渋川春海著 写本1冊(「日本書紀暦考」と合綴)(番号:87、マイクロNo.52)

古今交触考

渋川春海は、過去の暦日を調査し「日本長暦」を著したが、その過程で作られた「日本書紀暦考」とこの「古今交触考」は一体をなすものである。

これまで使われてきた宣明暦と貞享暦で日月食の予想を比較し、古くは推古天皇三十六年(628)から日月食の記録を調べて違いを記してあり、もとは延宝四年(1676)までであったが、天文台所蔵のものは貞享元年(1684)までの改訂版となっている。

太陰太陽暦では約3年に1回、うるう月を入れて1年の長さと季節(太陽の動き)のずれを調整するが、その規則は簡単ではないので、今年は何ヶ月なのか、うるう月が入る年ならば何月の後に入るのか暦を見るまでわからなかった。それらの暦の情報は長い年月が経つと失われることもあり、すると古い暦を遡ることは難しくなってしまう。

「日本長暦」は日本で823年の間使われた宣明暦を研究し暦日を計算して復元した、これまでに類を見ない書物で、歴史的な物事を調査するために大変有用であった。

その内容は長く参照されて、江戸中期に出された「皇和通覧」中根元圭(暦学者1662〜1733)や、明治十三年(1880)に内務省地理局が出した「三正総覧」にも使われている。

古今交触考 古今交触考

「長慶宣明暦算法(ちょうけいせんみょうれきさんぽう)」延宝四年(1676) 安藤有益(あります)著 刊本7冊(番号:322、マイクロNo.66)

長慶宣明暦算法

安藤有益(会津の算学者。1624〜1708)によって著された宣明暦の解説書で、7分冊の刊本である。

長慶宣明暦は、この暦が中国の唐の長慶二年(822)から施行されたことから、この名がつけられた。

二十四節気、土用、日月食の日の求め方や、暦の計算の草稿である見行草(けんぎょうそう)も収められ、当時の算術への関心が高まった時期に出されている。

宣明暦では章歳(太陽年の長さ)を3068055分、一日の長さを8400分としていて、これを元に宣明暦の一年の日数を求めると

3068055÷8400≒365.2446

となる。ちなみに、この分は、暦計算に使われた時間の単位で今の時分秒とは異なる。太陽年は365.2422日なので、800年では、

(365.244643−365.2422)×800≒2

となり、約2日分のずれとなっていた。

長慶宣明暦算法

「暦家秘道私記」永正八年(1511) 加茂在富著 自筆本1冊(番号:511、マイクロNo.55)

暦家秘道私記

宣明暦は中国の唐で長慶二年(822)から71年間使われた暦で、日本には遣唐使によってもたらされ、それまでの大衍暦(だいえんれき)、五紀暦(ごきれき)にかわって貞観四年(862)に採用された。

この「暦家秘道私記」は、賀茂家の秘本として、日月食の計算法などが書き写して伝えられたもので、朱で書き込みがあり、巻末に加茂在富の署名がある。

遣唐使が中止されて、新しい暦が入ってこなくなると、朝廷の陰陽寮では知識や人材もいなかったためか、新しい暦を使うこともなく、暦は秘伝、口伝などとして宣明暦法を作って作り続けれた。

賀茂家は唐から大衍暦を持ち帰った吉備真備の後裔で、陰陽寮に仕えた加茂保憲の時に、暦道は子の加茂光栄に、天文道は弟子の安倍晴明に託し、これ以降世襲されることになった。

賀茂家は在富の代で一時断絶したため、安倍家が暦博士と天文博士を兼任した。その後、安倍家の子孫、土御門泰福(つちみかどやすとみ)が貞享の改暦に関わることになる。

暦家秘道私記 暦家秘道私記

「新蘆面命(しんろめんめい)」谷秦山(たにじんざん) 写本1冊(番号:234、マイクロNo.45)

新蘆面命

谷秦山(土佐の儒学者、神道家。1663〜1718)は、17歳で京都に出て山崎闇齋に儒学、神道を学び、その後同じ闇齋の弟子であった春海より手紙によって天文、暦、神道などの教えを受けた。

新蘆とは春海の号で、面命は会って聞いたそのままを記録したといった意味で、これまで書状でのみ知っていた春海に実際に会って、素朴な老人で驚いたとの感想や、天文、暦など教えを受けたひと月の滞在中に見た江戸の様子なども書かれている。

天文台の所蔵本は明治に少年必読日本文庫(編集:岸上操 全12巻、新蘆面命第4編収録)の底本となったもので、文庫では内藤耻叟(ちそう)(明治の教育者、歴史家)によって校訂が加えられていて、その蔵書印がある。

この前にも太田南畝(なんぽ)(天明の幕臣、文人、狂歌師)が江戸時代の本を紹介した三十輻(みそのや)にも取り上げられ、新蘆面命には状況の改暦の事情も書かれているが、その他の記述には誤った内容を含むので注意が必要とある。

新蘆面命

「天文成象」元禄十二年(1699) 保井昔尹 1巻(番号:3794、マイクロなし)

天文成象

2010年本屋大賞を受賞した「天地明察」(冲方丁著)は、初めて日本独自の暦を作った渋川春海(1639〜1715)を主人公とした小説で、2012年9月には映画も上映されている。

それまでの朝廷の陰陽寮で使われていた暦法は、800年も前に中国から輸入した宣明暦で、これをそのまま改良もせずに使い続けてきたため、太陽の位置が約2日ずれてしまい、太陰太陽暦で月の大小を決める目安となる二十四節気がずれたり、日月食の予報がたびたび外れることもあった。

春海はこれに代わり、中国の元で使われていた授時暦を基に、経度差を考慮するなどして観測的に日本に合わせて修正し、貞享の改暦(1685)を成し遂げた。その功で初代天文方に任ぜられた。

この天文成象は、渋川春海がまとめた天文瓊統を改訂し、息子の昔尹の名で出された星図である。

西洋の黄道十二星座と同じように、中国では赤道を基準として、暦を作るために目安となる星座:二十八宿を決めていた。表紙は天文成象の天の北極付近、上は後半、二十八宿の星を東、北、西・南と赤道にそって描いた図の最後の部分で、右端の西南から南にかけて、胃、昴(ずばる)、畢(おうし座)、觜、参(ともにオリオン座の一部)、井(ふたご座の一部)、鬼(かに座)、柳、星、張、翼、軫である。

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