第四十三回展示・渋川春海と「天地明察」−II (2010年10月23日〜翌年3月31日)

「天文分野之図」 部分

「天文分野之図」 部分 延宝五年(1677)保井春海(番号:3798、マイクロなし)

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「算法闕疑抄(さんぽうけつぎしょう)」 万治元年(1658) 磯村吉徳(「いそむらよしのり」「きちとく」とも)著 刊本2冊(番号:1653,1653、マイクロNo.1001,1002)


算法闕疑抄 算法闕疑抄

渋川春海が新しい暦を作ることになる時期は、幕府の統治が安定し、広く一般にも算術への関心が高まった時代であった。
 「塵劫記(じんこうき)」は寛永四年(1627、寛永八年とも)に出版された算数の入門書で、多くの人々に読まれ版を重ねたため、明治時代まで「○○塵劫記」という類書が出されるほど、長く算術書の代名詞となっていた。
 ここにあげる「算法闕疑抄」は、「塵劫記」の後に多く出された算術書の一つで、数や位の説明、九九のかけ算、そろばんなど入門編から始まって、「塵劫記」の遺題(答えを付けない出題で、他の数学者へ挑戦の意味合いがあった)への解答や新たな遺題など高度なものも掲載され、のちに注釈を付けた「頭書算法闕疑抄」が出されるほどの人気書となった。

算法闕疑抄・落書きあり 算法闕疑抄・落書きなし 算法闕疑抄・落書き

天文台には初版本といわれる二冊の「算法闕疑抄」があるが、一冊には後世の落書きがみられる(左の画像)。
 右の画像は落書きがない方の「算法闕疑抄」(虫食い)で上と同じ挿絵。
 円内の図は左の画像の本の巻頭にあった落書き。
 本文の書き下しを以下に記す。

「ぬす人 橋の下にて 布をわくるに
人ことに 八端(反)づつ わくれは 五端たらず
七端宛 割れは 十端あまる と云いて
ぬす人 何人 ぬのを何反

答云
ぬす人 拾五人
布数 百拾五端

法は 右同意なり
布八端とれは 五端余る
六端ずつとれば 拾参端あまる
人数何程 ぬの数何ほど と問う

答云
人数四人
布数三拾七端」

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「授時発明(じゅじはつめい)」 関孝和著 写本1冊(番号:398、マイクロNo.15)


授時発明 授時発明

関孝和が、中国の「天文大成管窺輯要(てんもんたいせいかんきしゅうよう)」巻3から3条を抜き出し授時暦について研究し書かれたもので、授時暦法による黄道、赤道、白道差を図解している。
 関孝和は暦法の研究に力を入れていた時期があり、授時暦も研究しこれを当時の日本で最も理解していたと言われる。
 この「授時発明」の他「四余算法」などを著した。
 右に名前の見える郭守敬(1231〜1316)は、元王朝で王恂、許衡とともに授時暦を作るのに功績があったが、暦・天文学者というより技術者で、機器製作にすぐれ、新しい機器を作って観測精度を上げたと言われている。

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「天文瓊統(てんもんけいとう)」 元禄十一年(1698) 渋川春海著 写本8巻5冊(番号:377、マイクロNo.14,15)



天文瓊統・渾天儀の図 天文瓊統・星座 天文瓊統・巻末

「天文瓊統」は1巻で天地日月、2巻に五星(惑星)、3巻は紫微垣、太微垣、天市垣の星図、4巻に二十八宿全体、5〜8巻は二十八宿のそれぞれ北、西、南、東方七宿に含まれる星座について詳しく説明している。
 左は1巻にある渾天儀の図である。
 中央は3巻の星座で、北天の天頂付近を紫微垣、太微垣、天市垣の三つに区分して、それぞれに関連する星座が配されている。
 紫微垣は北極星を中心として、ほぼ北斗七星を含む円で、天帝の居場所とそれを囲む城壁を示す。太微垣は主にしし座とおとめ座を含み、帝座とそれを中心とした庭園を囲む壁を表している。天市垣はヘルクレス座のαを帝座とし、これを中心として城壁に囲まれた市場とみている。
 当本は状態の良い写本であり、伊勢神宮に納本されたものを書写した際に写したと思われる「源春海自筆」の文字がある(右の画像)。

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「天文分野之図」 延宝五年(1677)写 保井春海(番号:3798、マイクロなし)


天文分野之図

平成二十一年(2009)末、初めて日本独自の暦を作った渋川(保井、安井、また源とも。碁方としては安井算哲)春海(1639〜1715)を主人公とした小説「天地明察」(冲方丁著)が刊行され、2010年本屋大賞を受賞した。
 右の天文分野之図は、中国で国家や王の運命を占う一種の星占いに用いられた分野図(そのためもとは中国の地名が記されていた)を、渋川春海が日本の国土に当てはめて作った星図である。
 中国から伝わった我が国の暦法は、長く朝廷の陰陽寮で行われてきたが、当時の暦は占いと密接に関わっていて、分かちがたいものであった。
 中国の暦を決めるために重要な星座を二十八宿といい、西洋の黄道十二星座と同じように日月惑星の位置を示す座標の役割(こちらは天の赤道が基準)を持っていた。
 東西南北それぞれ不等分な七宿があり、全部で二十八宿になる。今日われわれが見慣れている西洋の星座に比べるとそれぞれが小さく、つなぎ方も異なっている。
 例えば西方七宿に含まれる「参(しん)」はオリオン座の一部(右図青点線の円内)で、さそり座は東方七宿の「房」「心」「尾」に分かれている(同赤点線の円内)。

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