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貴重資料展示室

第18回常設展示:1997年11月5日〜1998年5月6日
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測地

正確な日本地図は伊能忠敬 (1745-1818) の長年の実測によって完成された。この地図はシーボルトの『日本』に紹介され、ヨーロッパの人々を驚かせた。

伊能忠敬は、江戸幕府天文方寛政の改暦を主導した高橋至時(たかはしよしとき) (1764-1804) に天文学を学び、終生至時を師と仰いだ。至時と忠敬の仕事の一つは観測によって緯度1度の正確な距離を測定する事だった。至時の死後は、その息子で幕府天文方を継いだ高橋景保(たかはしかげやす) (1785-1829) の指導を受けた。忠敬は日本全国をまわり、星の観測から緯度を決め、測量によって極めて精密な地図を作り上げた。1821年に完成した忠敬の地図は幕府によって秘匿されたため、明治になるまで人々の眼に触れることはなかった。

代わりに明治初期まで長く使われていたのは「赤水図(せきすいず)」と言われている長久保赤水(ながくぼせきすい)の作製した地図である。『日本輿地路程全図(にほんよちろていぜんず)』は初めて緯度線と方角線を表わした地図であった。何度か改版され、後には海路や里程 (距離) も加えられた。長久保赤水 (1717-1801) は現在の茨城県の人で、天文学・地理学にも通じていた。著書に天文学の入門書である『天象管闚鈔(てんしょうかんきしょう)』、『長崎行役日記』などがある。

大日本沿海実測録』伊能忠敬著 高橋景保序 明治三年(1870)出版 刊本14巻

大日本沿海実測録1 大日本沿海実測録2

伊能忠敬の測量値が沿海・街道・湖沼・島ごとに詳しく書かれており、文政四年(1821)の伊能忠敬の序、同じ文政四年の高橋景保の序がある。景保の序によると『大日本沿海實測全図』は大図が30幅、中図2幅、小図1幅、附録14巻で構成されている。附録にあたるこの本には、地図作成に使われた土地土地の里程、極高度 (緯度) の値が記されている。

この本は明治になって出版され、大学南校 (東京大学の前身) の罫が使用されている。なお、国立天文台所蔵本は14巻のうち、巻三と巻十一が欠けている。

地勢提要(ちせいていよう)』 高橋景保編 文政七年(1824)自跋 写本1冊

地勢提要1 地勢提要2

日本各地の極高 (緯度)・京師 (京都) にあった改暦所を基準とする経度・日本橋からの里程がまとめられている。北は宗谷から鹿児島種子島、八丈島、隠岐。江戸の場所はその頃天文台が置かれていた浅草の測量所 (浅草天文台) と伊能忠敬が住んでいた深川黒江町の場所が示されている。浅草測量所の極高が三十度・・・となっているのは写し違いかもしれない。その他、沿海周廻里程、郡・村・島等のかわった名が記されている。この『地勢提要』は伊能忠敬の測量による数値であることを、後書きで高橋景保が述べている。

『新刻 日本輿地路程全図』 長久保赤水著 安永八年(1779)出版 刊本1舖

新刻日本輿地路程全図

この地図は長久保赤水自身が観測や測量をして作った地図ではなく、渋川春海の緯度測定値などさまざまな資料を比較検討し、赤水自身が踏査した結果も加味して作図したものだという。地図は、松前南部 (北海道南部) から薩南鬼界島 (鹿児島県の奄美群島にある喜界島か)、八丈島におよび、街道、城下、宿場、寺社、山岳、河川、湊、島などが記載されている。

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