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貴重資料展示室

第08回常設展示:1994年1月10日〜1994年4月10日
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江戸時代の星図

「高松塚古墳」の石室の内部に星座が描かれていたことは考古学上の大発見としてニュ−スに取り上げられた。さらにその近くにある「キトラ古墳」でも、星座が古墳の天井に描かれているのが見つかっている。ほかにも特定の星座を崇拝もしくは信仰の対象とする妙見信仰や宿曜道など、星座はかなり古くから伝わっていたことがわかる。

土御門家 (安倍家) で所蔵していた『格子月進図(こうしげっしんず)』は、元享四年(1324)に天文博士の安倍泰世が花園天皇に見せたとの記録があり、現存する最古の星図とされていたが、惜しくも第二次世界大戦中に焼失し、写真だけが残された (大崎正次著『中国の星座の歴史』参照)。中国の星座は人間社会での帝王をはじめとする組織に擬して命名されており、1周天を365.25度にわけ、赤道座標上に不均等に分けられた二十八宿に割り当てられている。中国の星図が我が国に渡来し、その星図に、模倣ではあったが、星を観測し、新しい星座を書き加えたのは、初代天文方渋川春海だった。その後、多くの星図はこの春海の星図を踏襲した。一方、江戸後期にオランダから西洋天文学書が輸入されると、『阿蘭陀(オランダ)全世界地図書訳』(静岡県立図書館葵文庫蔵) など、西洋の星図も入ってきた。

国立天文台には幾つか江戸時代の星図が残されているが、すべて中国系統の星図である。『天文成象』、『改正天文図説』はいずれも中国からの星図に幾つか星座を書き加えたものである。

天文星象図解長久保赤水著 文政七年 刊本1冊

天文星象図解1 天文星象図解2 天文星象図解3

天文成象』 渋川昔尹著 元禄十二年 写1巻

天文星象の図

改正 天文図説』 折本 着色本

改正天文図説
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