トップ

お問い合わせ | English

貴重資料展示室

長久保赤水(ながくぼせきすい)の業績

2017年は長久保赤水(1717-1801 江戸中期の地理、儒学者)生誕300年にあたる。

天文星象圖解

「天文星象圖解」 文政7年(1824)長玄珠 子玉(ちょうはるたか しぎょく)(長久保赤水)著 刊本1冊

「新刻 日本輿地路程全図(しんこくにほんよちろていぜんず)」 長久保赤水 著 安永八年(1779)刊 刊1舗 (83×133cm)

新刻 日本輿地路程全図

  赤水はこの地図を作るにあたって観測・測量をおこなったわけではない。渋川春海の北極出地の観測値、これまでに書かれた絵地図、国郡図、海外の地図など膨大な資料を参考に、自身の「東奥紀行」(方位磁石を持参)、「長崎行役日記」での実体験や、多くの旅人から直接聞いた話も検討し20年以上の歳月をかけて制作された。また、版行された日本地図として初めて経緯線と緯度の数値が記載された。凡例には「曲がり尺の一寸(約3cm)を道のり十里(約40km)」とあり130万分の1の縮尺ということになる。

 赤水の日本地図(赤水図)は幕府の認可を受け販売されると改訂5回を重ね、赤水図をもとに認可を受けた模倣版や無認可の海賊版が出されるほどであった。このように赤水図は明治時代まで日本地図の代名詞となり舶載されて海外にも残っているが、約40年後に作られた伊能忠敬(1745-1818)の日本地図は精密であるがゆえに幕府の秘密とされ、すぐに一般の目にふれることはなかった。

 この功績もあって、藩の長年の事業で徳川光圀(みつくに)(1628-1701)が始めた大日本史の地誌の編纂を後に任されることになった。序を柴野栗山(りつざん)(1736-1807 儒学者として徳島藩、幕府に仕え後に湯島聖堂取締)が寄せている。

「拾芥抄(しゅうがいしょう)」 洞院公賢(とういんきんかた)編 3巻6冊

 拾芥抄は公家(くげ)が必要な知識をまとめたもので、歳時、文学、風俗、官位、典礼、国郡、神仏、衣食、吉凶などに関して漢文で書かれている。鎌倉時代中期に原型ができ、南北朝時代(1336-1392)の公家藤原公賢が上中下それぞれに末巻を加えて6冊にまとめたと考えられている。

拾芥抄

 中末巻に掲載された日本地図は奈良時代の僧行基(ぎょうき)(682-749)が元を作ったということから行基図と呼ばれるが、行基の作った図は見つかっていない。

 各国の大まかな位置関係はわかるが、山、河川など細かな地形は書かれていない。

 赤水図が出されるまでの日本地図としては江戸時代の浮世絵師 石川流宣(とものぶ)(生没年不詳)が作った流宣図(りゅうせんず)(日本海山潮陸図など)が有名であった。流宣図は国の形について行基図より詳しいが、方位や距離について正確さを求めようとする赤水図に比べると絵地図的なものである。

「長崎行役日記」文化二年(1805)刊  明和四年(1767)記 長玄珠(ちょうはるたか)(長久保 赤水)著

 仮名交じり文で書かれた、赤水が水戸から長崎まで藩の役人に同行した旅行記である。

長崎行役日記

 明和二年(1765)に遭難した常陸国多賀郡磯原村(現在の茨城県北茨城市磯原町)の姫宮丸船頭以下6名が安南(今のベトナム)まで漂流し生存した4名と、後に陸奥国磐前郡小名浜村(福島県いわき市小名浜)住吉丸の漂流民3名とが異国で邂逅し、2年後に中国商船で長崎に帰国した。これを引き取るため、水戸藩から使者を送ることになった。

 赤水は日本地図の編纂を企図していたため実際に西国まで行く機会を逃さず、儒学の師の藩への働きかけもあって、本来行くべき庄屋の名代として同行することができた。

長崎行役日記 長崎行役日記 長崎行役日記

 道中で赤水の目にふれた様々なものが記述されていて、太宰府天満宮に寄った際の絵地図や、出島のオランダや中国人の姿、供応で出された料理などが書かれている。赤水がその才能を生かして感謝の気持ちを中国の商人や長崎通詞へ送った漢詩は、別に清槎唱和集(しんさ しょうわしゅう)として出版された。

 巻末には赤水の著作が並んでいて、日本地図だけでなく中国の歴史地図、世界地図、天文書、旅行記、漢詩集など、亡くなった後も江戸、京都、大阪で出版され売られていたことがわかる。

「天文星象圖解(せいしょうずかい)」 刊本1冊 文政七年(1824)
「天文星象圖(せいしょうず)」 作者不明 刊1舗(72×71.5cm)

天文星象圖解 天文星象圖解と天文星象圖の表紙

 表紙と上の左図は天文星象圖解で赤水が天文学の入門書としてまとめた「天象管き鈔(てんしょうかんきしょう)」(安永三年1774)をもとに後年版行された。現代の星座早見盤のような綴じ込み付録が付いていて、星の書かれた円盤は中央の穴で回転できるよう紙縒(こよ)り(北辰を示すものか赤く彩色)によって下の台紙へとめられている。円盤には中国の星座や二十八宿の範囲が書かれ、地上から仰ぎ見る形で見える星が季節によってかわるのがわかる。

天文星象圖

 上の右図はこれとセットで出版されたといわれている「天文星象圖」である。

 赤水は天文学も地図を制作するため必要な知識として、渋川春海(はるみ)(1639-1717 天文暦学者)門下で水戸藩の儒学者 小池友賢(ゆうけん)(1683-1754)や、その弟子の大場景明(かげあき)(1719-1785)から学んだものと考えられている。

 北禅竺常(ほくぜんじくじょう)(1719-1801 禅僧、漢詩人。大典顕常(だいてんけんじょう)、大典禅師とも)が序文を寄せていて、赤水の広い交友をうかがうことができる。

参考文献:

「長久保赤水」杉田雨人 川又書房
「正・続 長久保赤水書簡集」高萩郷土史研究会、 長久保赤水顕彰会
「長久保赤水旧蔵資料についての検討」上杉和央、豊田智美 国土地理協会学術研究助成

ページの先頭へ