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貴重資料展示室

第55回常設展示:2016年10月21日〜2017年10月12日
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間 重富

間重富 (1756-1816) は、通称を十一屋五郎兵衛といい、大坂の町民の家に生まれ、家業の質屋を継ぎながら、天文学を学んだ。その後、麻田剛立に入門。寛政七年(1795)には幕府の命により、高橋至時とともに改暦事業に従事することとなる。この、寛政の改暦にあたって重富の果たした役割は大きく、改暦事業の功績により、名字帯刀を許され間姓を名乗ることとなった。

没後200年にあたる2016年、大阪歴史博物館と大阪市立中央図書館所蔵の間重富関係資料は、国の重要文化財に指定された (文化遺産オンライン [外部サイト])。

ラランデ暦書訳述』 間重富著 自筆本6冊

ラランデ暦書訳述1

間重富は急死した高橋至時にかわって、『ラランデ暦書』の翻訳に取り組んだ。それが『ラランデ暦書訳述』である。

『ラランデ暦書』"Astronomia of Sterrekunde"

ラランデ暦書1 ラランデ暦書2

『ラランデ暦書』とは、フランスの天文学者ラランド (Joseph Jerome Le Francais de Lalande) による著作 "Astronomie" 第2版(1771) 全3冊が、オランダのストラッペ (Arnoldus Bastiaan Strabbe) によって蘭訳され、日本に入ってきた "Astronomia of Sterrekunde" 全5冊のことである。

国立天文台では1冊欠の4冊を所蔵しており、蕃書調所の印がある。蕃書調所は江戸幕府により設立された洋学研究のための機関であり、この後、洋書調所、開成学校を経て東京大学へと発展していく。

星学手簡』高橋至時、間重富他筆 渋川景佑編 写本 上・中・下3冊

高橋至時が幕府天文方に登用されたのち、間重富・高橋至時・麻田剛立らの間で、蘭学、暦書、観測や観測機器についての意見交換や近況報告のために書簡が多数かわされた。『星学手簡』はこれを高橋至時の次男である渋川景佑が編集したものである。第1回展示も参照。

星学手簡1 星学手簡2

寛政暦書

『寛政暦書』は西洋天文学を採り入れて考案された寛政暦法をまとめたもの。間重富はとくに垂揺球儀など、観測機器の改良に大きく貢献した。

寛政暦書1 垂揺球儀全図

暦象考成 後編

『暦象考成 後編』は、ドイツ人宣教師ケーグラー (漢名は戴進賢(たいしんけん)) らによって編纂された暦書で、中国清王朝の乾隆七年(1742)に完成し、時憲暦の改正に用いられた。ケプラーの楕円運動理論にもとづいた最新の暦書であり、入手は極めて困難だったようであるが、それを可能にしたのが間重富の人脈といわれている。その後『暦象考成 後編』を手に入れた麻田剛立・高橋至時・間重富らは研究を重ね、それを基礎とする寛政の改暦へとつながることになった。第31回展示も参照。

暦象考成後編1 暦象考成後編2
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