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貴重資料展示室

星図(2014年10月24日〜2015年10月)

ガリレオが望遠鏡を使った天体観測を始めて200年ほど経った頃、欧米では望遠鏡の改良に伴って様々な観測が行われ、多くの恒星が二重星であることや数多くの星雲や星団の発見など、現代の天体物理学の基礎となる成果が得られた。また写真技術が改良されて天体観測にも利用できるようになり、詳しい星図の作成や客観的な観測の評価に役立てられた。

Observations of Nebulae and Clusters of Stars Made with Six-Foot and
Three-Foot Reflectors at Birr Castle 1848-1878

「Observations of Nebulae and Clusters of Stars Made with Six-Foot and Three-Foot Reflectors at Birr Castle 1848-1878」(1880刊) The Earl of Rosse著(番号:SC116、マイクロなし)

りょうけん座の「子持ち銀河」として知られるM51 のスケッチ

・画像利用をご希望の場合は「画像のご利用・著作権について」をご覧ください。

「Observations on the Nebulae」(1850刊) The Earl of Rosse著 (番号:SC117、マイクロなし)

Observations on the Nebulae Observations on the Nebulae

第三代ロス卿として知られる ウィリアム・パーソンズ(1800〜1867)は、アイルランドの天文学者。

ハーシェルに続き、口径6フィートや3フィートなど集光量の大きい高倍率の反射望遠鏡を使って星雲や星団の観測を行い、銀河の渦巻き構造を見い出した。

望遠鏡の反射鏡の研磨には時間がかかるため、同じ鏡を二組用意して鏡面が劣化すると交換し、その間にもう一方を研磨して観測が途切れないようにしていた。

ロス夫人メアリーは、鍛冶技術の熟練した職人だったので、観測のサポートだけでなく望遠鏡の製作にも関わっている。

写真家のウィリアム・フォックス・タルボット(1800〜1877)は、ジョン・ハーシェルの着想を具体化して、ネガ、ポジを使って複数のプリントができる写真を開発した。メアリーは彼と親交があり、夫の望遠鏡などを撮影した写真が残っている。

「Observations of Nebulae and Clusters of Stars Made with Six-Foot and Three-Foot Reflectors at Birr Castle 1848-1878」(1880刊) The Earl of Rosse著(番号:SC116、マイクロNo.71)

Observations of Nebulae and Clusters of Stars Made with Six-Foot and
Three-Foot Reflectors at Birr Castle 1848-1878 Observations of Nebulae and Clusters of Stars Made with Six-Foot and
Three-Foot Reflectors at Birr Castle 1848-1878

ローレンス・パーソンズ(1840〜1908)は、父ウィリアムの作った口径3フィート反射望遠鏡で星雲や星団の観測を行い、天文学者と第四代ロス卿を継いだ。

本書には観測技師として、ニュージェネラルカタログを編纂したドレイヤーの名前が見える。

M1と記したのは、ウイリアム・パーソンズが「かに星雲」と名付けた、メシエカタログの1番目の天体のスケッチである。

メシエカタログは、コメットハンターだったフランスの天文学者シャルル・メシエ(1730〜1817)が、彗星を観測する際に見間違いやすい天体をまとめたもので、1774年の初版から1781年まで3回出版された。

"Observaions on some of the Nevulae / The Earl or Rosse"のM1のスケッチは、かに全体の形のように見えないことはないが、左の図ではかにのはさみのように見える。天体観測の報告は、写真技術が確立するまでこのようなスケッチに頼るしかなかった。

かに星雲は超新星爆発の残骸で、日本では天喜二年(1054)爆発当時の陰陽寮の記録が藤原定家の明月記に引用されている。

「Cordoba Photographs -Photographic Observation of Star-Clusters」(1897刊) Benjamin Apthorp Gould 著(番号:SC95、マイクロなし)

Cordoba Photographs -Photographic Observation of Star-Clusters Cordoba Photographs -Photographic Observation of Star-Clusters

著者のベンジャミン・グールド(1824〜1896)は、アメリカの天文学者で、天文の学術雑誌「アストロノミカル・ジャーナル」を1849 年に創刊した。

当時天文学の中心はヨーロッパであったが、グールドは、学術誌の刊行を続けることで、アメリカにおいて天文学の発展に努めた。

また、アルゼンチン政府に請われてコルドバ天文台の創設に関わり、初代台長となった(1870)。

1879年南天と北天の観測から、主な恒星が天の川に沿ったものと、それに対して約20度の角度を持った帯に分かれていることを発見した。後者は「グールドの帯」と言われる。

本書はコルドバ天文台で写真を利用して行った星団の観測報告で、グールドの死後に刊行された。

コルドバ天文台創設時の話として、アルゼンチンに運んだ望遠鏡の対物レンズが割れていたが、現地の時計職人によって観測できるまでに修復され、それを使って多くの星の写真が撮られたと書かれている。

図はプレアデス(すばる)の星図の部分(左)とその本文(右)。本書は左側にスペイン語、右側に英語で書かれている。 

最初の掃天星表としてボン星表(1859)がアルゲランダー(1799〜1875)を中心として、ドイツで制作されたが、ボン天文台では北天の恒星しか観測できない。

その後、ヨーロッパで見ることのできない南天の星を加えるため、アルゼンチンと南アフリカで観測が行われ、コルドバ星表(1892)、ケープ星表(1896)が作られた。

どちらも、これまでの星表とは違い、写真技術を活用して作られた。

「Observations of Nebulae and Clusters of Stars Made at Slough, with a Twenty-feet Reflector, between the years 1825 and 1833」 (1833刊)John Frederick William Herschel著(番号:SC107、マイクロなし)

Observations of Nebulae and Clusters of Stars
Made at Slough, with a Twenty-feet Reflector, between the years 1825 and 1833 Observations of Nebulae and Clusters of Stars
Made at Slough, with a Twenty-feet Reflector, between the years 1825 and 1833

本書はジョン・ハーシェル(1792〜1871)が、父ウィリアム製作の20フィート反射望遠鏡で星雲、星団を観測した報告である。ジョンは1834〜1838年ケープタウンで観測を行い、南天の星を記録した。写真技術の改良にも寄与して、天文学上最古の写真を残している。

著者の父フレデリック・ウィリアム・ハーシェル(1738〜1822)はドイツ出身でイギリスの音楽家、天文学者。天王星の発見者として有名だが、資金を得るために数多くの望遠鏡を製作、改良、販売し、赤外線の発見(1800)など様々な成果をあげた。その兄弟も望遠鏡製作や観測を手伝い、妹カロライン(1750〜1848)は兄ウィリアムの観測記録を整理、出版し、自分でも彗星、星雲を発見している。

後にジョン・ドレイヤー(1852〜1926)が、ハーシェル父子の作った天体カタログ:ジェネラル(一般)カタログを追補し、1888年ニュージェネラルカタログ(New General Catalogue)として発表した。

これは見かけが単独の恒星とは異なる天体のカタログで、現在でもNGCの後に掲載番号を付けてNGC 3587のように記される。

「格子月進図」年代不詳(1300年代)写し 安部泰世(番号:広瀬0100、マイクロなし)

格子月進図 格子月進図

中国や日本では天文学はもっぱら暦を作るための学問で、星図の使い道は日々移動する太陽、月、惑星の位置を示すための二十八宿を決め、暦の占いについて用いることであった。

西洋のギリシャ神話をもとにした星座に比べ、中国の星座は一つ一つが小さく、含まれる星も少ない分その数が多く、目立たない暗い星まで加えられている。中国の皇帝を中心とした宮廷や官位、国や街のようすを表した星座が多い。

本書は暦を司る役職を代々ついだ土御門家に伝わる星図で、一子相伝とされたその編暦の技術は外部に出ることがなかったため衰退していった。この星図を見ると、星座の星にこれまでにない番号がふってあり、伝来当時の二十八宿から度数が更新されているなど、改訂の行われていた様子が見られる。


後世の研究者が初めて見たときに、格子状の線の上に星をプロットしてある様子が近代的に見えて、それほど古い星図だと思わなかったということである。

1942年に研究者が見たところでは日本最古の現存星図であった。(天文月報 昭和17年6月号)。実物は残念なことに第二次世界大戦の空襲によって失われてしまい、写真だけが残されている。

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