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貴重資料展示室

明治時代の天文観測(2011年10月21日〜翌年10月22日)

貞享の改暦(1684)から日本の暦の編成を行ってきた幕府天文方は、明治元年まで編暦事業のために必要な天文観測を続けてきたが、明治維新の動乱の中に解体され、その器物の多くが失われてしまった。

その後明治政府に引き継がれた編暦事業においては、政府内の混乱を反映していくつもの変遷があった。

また天文観測では、明治初期にあった天文現象にあわせて欧米諸国の観測隊が日本を来訪し、実際にその機器にふれ、知識を習得する機会があった。それを受けて、江戸時代のように編暦を主目的としたものではなく、天文学のための天文観測の下地が作られていくことになる。

金星過日

「金星過日」 ダビッド・モルレー 写本1冊(番号:6904、マイクロNo.3002)

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「明治十六年 十月三十一日 太陽金環触の圖」(番号:7984、マイクロなし)

明治十六年 十月三十一日 太陽金環触の圖

事前に金環食を想像して描かれた錦絵。この金環食についての広報は海軍省(明治十六年七月九日官報第7号学事)と内務省(同年十月十二日官報第89号学事)から出された。当日各地はほぼ曇天ではっきりと食を見られなかったようである。

「慶応四年子午線儀連測記」 慶応四年のちに明治元年(1868)山路天文方(番号:6903、マイクロNo.2001)

慶応四年子午線儀連測記 慶応四年子午線儀連測記

慶応四年の正月1日から7月25日までの天文方の観測記録である。暦を作るために、子午線儀(下の図)という観測機器を使い、天体の子午線通過を計測した。

子午線儀全圖「寛政暦書」弘化元年(1844)35巻35冊のうち巻19より(番号:40、マイクロNo.28,29,30)

子午線儀全圖 「寛政暦書」

図の三角形に張った糸の面が南北の子午面に一致するように調整してあり、観測者はその下の観測小屋の屋根の隙間から天体の子午線通過を測った。子午面に合わせるためには何夜か予備観測をして調整する必要がある。

子午線儀の観測者は決められた天体が子午線通過するのを見て合図し、時計係が振り子時計でその時刻を計測、象限儀の観測者が天体の高度を測り、その一組の値で意味のある天文観測となる。

「明治五年壬申頒暦」大学星学局、「明治六年太陽暦」

明治五年壬申頒暦

明治五年(1872)に、従来の太陰太陽暦を廃して翌年から太陽暦を採用することが布告された。「太陰暦ヲ廃シ太陽暦ヲ頒行ス」(明治5年太政官布告第337号、改暦ノ布告)では、「來ル十二月三日ヲ以テ 明治六年一月一日ト被定候事」として、グレゴリオ暦1873年1月1日に当たる明治五年十二月三日を明治六年一月一日とすることなどを定めた。

しかし急な変更は不便ということで、これまでの天保暦も併記された。その後太陽暦普及の妨げになるという理由で、明治八年に文部省と内務省それぞれから廃止案が出されたこともあったが、併記は明治四十二年暦まで続けられた。

明治六年太陽暦 明治六年太陽暦

「金星過日」ダビッド・モルレー 写本1冊(番号:6904、マイクロNo.3002)

金星過日

明治政府は西欧諸国の進んだ学問や技術を取り入れるため、海外の人員を登用した。明治五年(1872)南校ではフランス人レピシェを招聘して数学・天文学の学科、星学科を開設した。これは幕府天文方の天文暦学とは関わりの無いものであった。

明治七年十二月九日(1874)、アジアで金星の日面経過(内惑星である金星が、太陽と地球の間に来て、太陽−金星−地球と一直線に並ぶ非常にまれな天文現象。 この時、地球からは金星が太陽の前面を通過するように見える。)が観測できるため、欧米各国は競って観測隊を派遣した。

この観測は、これまで日本で行われてきた定常的な暦を決めるためのものとは異なり、ハレーの著した論文の実証のために行われた。金星が太陽面を通過する際に、地球上の離れた二地点で観測を行うことによって、地球から太陽の距離の精度を上ることができるという理論であった。

この「金星過日」は、当時の文部省顧問であったアメリカ人教育者ダビッド・モルレーが、その解説を交えて日本で観測するアメリカ、フランス、メキシコ観測隊への協力要請を文部省に提出したものであり、その報告等も含んでいる。

「レプソルド子午儀観測野帳」明治二十一年(1888)

レプソルド子午儀観測野帳 レプソルド子午儀観測野帳

表紙に「弐」「參」と書かれているようであるが、「壹」は見つかっていない。「弐」の表紙内の扉に鉛筆書きで「千八百八十八年七月十七日ヨリ八月十四日迄」と見える。

レプソルド子午儀観測野帳

レプソルド子午儀観測野帳

レプソルド子午儀は「大子午儀」と呼ばれていた。野帳のページの上には「TRANSIT OBSERVATIONS」と書かれている。観測星は βLibrae と ν1Bootis と読める。レプソルド子午儀中心は大正七年(1918) 九月十九日文部省告示號外で、経度の基準点として採用されている。(アーカイブ新聞 第401 号など参照)

「レプソルド子午儀」(1880) ドイツ ア・レプソルド・ウント・ゾーネ社製

レプソルド子午儀
レプソルド子午儀

国立天文台にあるレプソルド子午儀が平成二十三年度 国の重要文化財に指定された。この子午儀は1880 年にドイツで製作された口径13.5cmの望遠鏡で、明治十四年(1881)に海軍省が購入、麻布台の海軍観象台で経度観測と時刻決定に使用された。

明治二十一年(1888)、明治九年から内務省が受け持っていた編暦事務と、海軍観象台、東京大学天象台を統合する形で、旧東京大学東京天文台が麻布台で発足した際に移管された。

「天象観測及暦書調整ハ自今文部大臣ヲシテ之ヲ管理セシム」とする、勅令第81号が同年に公布された。

日本全国で2012年5月21日は部分日食(地域により金環食)が、6月6日は金星日面経過が見られる。それぞれの詳しい各地の状況は暦計算室のホームページを参照。またレプソルド子午儀など器物についてはアーカイブ新聞を参照。

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