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貴重資料展示室

江戸時代の天文観測 2009年10月24日〜)

江戸中期になり西洋天文学の知識が広まるにつれ、太陽と月、星の動きを精密に観測し、暦法を評価・ 改良する研究が盛んに行なわれるようになった。

「寛政暦書」には幕府天文方の観測に使われた、星の位置を測る渾天儀や象限儀、観測時刻を測る機械式時計、南中時の太陽の影を測る圭表儀のほか、オランダ製の天体望遠鏡など様々な機器の図があり、それぞれに説明も付けられている。

わが国にも、ガリレオが望遠鏡で天体観測をして(1609)から4年後には望遠鏡が入ってきている。そのうちに、海外のものを参考にして国内でも望遠鏡を作る者が出てくると、これを使った天体観測が行われ太陽や月、惑星などの記録が残されている。

象限儀全圖「寛政暦書」
象限儀全圖 「寛政暦書」弘化元年(1844) 三十五巻三十五冊のうち 巻二十 (番号:40、マイクロNo.28,29,30)

「天文捷径 平天儀図解」享和二年(1802) 岩橋善兵衛著 刊本一冊 (番号:458、マイクロNo.73)

天文捷径 平天儀図解・望遠鏡の図 天文捷径 平天儀図解・太陽の図 天文捷径 平天儀図解・月の図

泉州(現在の大阪府貝塚市)の岩橋善兵衛は眼鏡を作る職人であったが、眼鏡の玉(レンズ)を磨く技術を生かして、後に望遠鏡を専門に作るようになった。「天文捷径 平天儀図解」は一般向けに書かれた天文の入門書である。

眼鏡職人によって作られた屈折望遠鏡は他にもあるが、反射望遠鏡は近江(現在の滋賀県長浜市)の鉄砲鍛冶の国友藤兵衛によって作られた。

「望遠鏡観諸曜記」橘春暉(南谿)著 写本一冊 (番号:463、マイクロNo.106)

望遠鏡観諸曜記・本文 望遠鏡観諸曜記・太陽の図 望遠鏡観諸曜記・月の図

寛政五年(1793)に岩橋善兵衛が作った望遠鏡(屈折式)を京都の橘南谿に持参し、この望遠鏡で観察した天体のスケッチである。日真象(太陽の図)には黒点が書かれており、その下の歳星(木星)には四つの衛星が、鎮星(土星)には輪があり、月真象(月の図)にはクレーターや「海」の様子が描かれている。

橘南谿 (1753-1805) は京都の医師・文化人。

「寛政暦書」巻二十 (番号:40、マイクロNo.28,29,30)

寛政暦書 巻二十・蛮製観星鏡 寛政暦書 巻二十・蛮製観星鏡の分図

望遠鏡を覗きながら手元で高度・方位を調整できるようにロッドが付いているのがわかる。小型のガイド用望遠鏡、接眼部の交換部品も付属している。寛政暦書は全三十五巻の寛政暦の暦法について書かれた大作であるが、そのうち巻十九から巻二十一までは、観測機器などの図がまとめられている。

寛政暦書 巻二十・蛮製地平経緯儀

蛮製地平経緯儀は、オランダ製の象限儀で、天体の位置から緯度、経度を測定したり、日月食の食分の観測などに使われた。表紙の象限儀と用途は同じであるが、それぞれの特徴が見られる。

「寛政暦書」巻十九 (番号:40、マイクロNo.28,29,30)

寛政暦書 巻十九・全儀 寛政暦書 巻十九・大輪垂揺球儀全図

大輪垂揺球儀は、暦を作るため天文観測に用いられた機械式時計で、重りを動力とした振り子時計である。

当時一般に使われていた時刻とは別に、一日を百刻とし、その一刻を百分に分ける、天文・暦で使われる時刻に対応した文字盤になっている。

海外から入ってきた機械式の時計を基に日本で改良したもので、これより小型のものもある。

寛政暦書 巻十九・圭表儀全図

もともと時計は、日時計を表す土圭からきている。中国や日本の太陰太陽暦は、太陽の南中時に影が最も長くなる冬至が暦の起点であり、圭表儀はこれを測定ために作られた機器で、寛政暦書には圭表儀と小表儀の大小二種類が載っている。

寛政暦書 巻十九・簡天儀全図

簡天儀は渾天儀を簡略にしたもので、本来は観測用の機器であった。赤経、赤緯など天球の概念を説明するため小型の模型も作られ、こちらが多く残っている。

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