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貴重資料展示室

天文奇現象錦絵集(2007年03月20日〜)

明治二十歳八月十九日日食九分九厘餘

明治前・中期における天文・気象の現象を描いた錦絵集が天文台に所蔵されている。この時期、日本で日食が続いて見られたこと、「1882年の大彗星」といわれ世界中で記録された彗星が見られたことから、この錦絵は作られたのだろう。絵の中には、これらの現象に当時の人々が驚いている様が描かれている。天文現象を扱う錦絵は珍しい。ここで紹介する図の他に、竜巻や雹(ひょう)、暴風などの図があり、全11枚が残されている。大きさはほぼA4で、絵によっては使われている色の多少がある。錦絵とは江戸中期から明治まで続いた多色刷り版画を指し、その美しさから、錦絵といわれるようになった。

「明治二十歳八月十九日日食九分九厘餘」
斎藤文庫の寄贈者である斎藤国治氏によると、この錦絵は東京の日食風景を予想して描いたものであるという。

「百一年目の日蝕」

百一年目の日蝕

明治二十年(1887)八月十九日の皆既食を事前に想像して描いた図で、天明六年(1786)以来の皆既食としている(本州では101年ぶりだったが、徳之島・沖永良部島などでは嘉永五年(1852)に皆既食が起こっている)。米国より来日した「ビートッド」氏(David Peck Todd)、寺尾氏(東京天文台初代台長の寺尾寿。当時は帝国大学理科大学教授)ら研究者が実測のために日光、新潟、白河の方へ出張したことが記されている。又、皆既食になって蒼天五色に変じ、暗黒色となれば、人の顔は青白くなり、草花が萎れた等々の様子であったことが書かれている。

「明治十六年(1883)十月三十一日 太陽金環蝕の圖」

太陽金環触の圖

金環食を事前に想像して明治十六年(1883)十月二十日に描かれた図である。

今を去ること四十余年前の天保十年(1839)八月朔日金環食を見て、ある老人はこれを豊年の兆しと語ったが、今年も豊作であった。東京では太陽が三日月のように見えるが、磐城(いわき)国境・阿武隈川から羽前(うぜん)山形をへて越後の国境・西海岸に至る地域では金環食が見られるため、天文学を志す人達は仙台地方へ出発する、と図中にある。

この金環食が見えた地域とは現在の宮城県阿武隈川あたりから新潟県日本海側の海岸あたりに相当する。

「ほうき星」(彗星)

ほうき星

明治十五年(1882)九月二十七日の朝方4時30分頃、東の空に現れ、尾の長さは3,4尺ほどもあった。ある人は豊年の兆しであると述べ、そのため多くの人が拝んだとある。「1882年の大彗星」といわれた彗星。

下の方には「はやくおがめおがめ これがほんのおがめはちもくということだ」とある。

「彗星の圖」(ほうきぼしのづ)

彗星の圖

「当九月下旬よりして、東の方にあらわれたる彗星は、十七度にわたり高度は八度三十一分、方向は北より東へ百五度五十九分にて実に近代未曾有(めずらしき)の大星なり。そもそも彗星は行星の一種にて其数六百有余あり。其形ほうきに似たれども、外の諸星に異なる事なく、只軌道をめぐるにきまりなきが故に不意にあらわるる事あれ共、吉凶の前兆、豊年の星などとは実に無学の僻説(へきせつ)にてさらに怪しむべき事に非されば、聊か(いささか(聊か)愚人(ひとびと)の迷(まよい)を解かんと爰(ここ)に図す」(翻刻文―これは、「1882年の大彗星」のことである)

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