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貴重資料展示室

内田五観の世界 -算學から天文まで- (2006年3月24日〜)

内田五観(うちだいつみ)(文化二年(1805)〜明治十五年(1882))は、はじめ恭といい、宇宙堂と号した。通称を弥太郎という。算學の関流日下門下の第一人者であり、内田の開いた塾からは多くの門下生が育ち、全国に広がっていた。蘭学を高野長英に学び、算學、天文、地理、航海、測量に通じていた。和算は暦算ともいわれ、天文と深い関わりがあった。明治に入り、内田五観は大学出仕天文暦道御用係として、明治三年星學局御用係を拝命して、編暦作業にたずさわり、太陽暦改暦の事業に関わった。

*高野長英(1804-1850)は医者、蘭学者で、シーボルトの鳴滝塾で学び、後、蛮社の獄で入牢したが、脱獄し転々とした。最後は内田の甥の家で、自刃した。

自長崎至暹羅航海路推算
「自長崎至暹羅航海路推算」宇宙堂主人編

「新考太陽高孤捷法」(しんこうたいようこうこしょうほう)、附録 写本1冊 内田弥太郎著 成立年代不明

内田五観が開いていた瑪得瑪弟加(まてまちか、「Mathematica=数学」の意か)塾の北極高度を35度41分として、面三角によって、24節気の日の太陽視高度他の計算過程を示している。図による説明も加えてある。

新考太陽高孤捷法・本文 新考太陽高孤捷法・巻初

「三角内容三斜術」写本1冊  安島直円編 補遺 日下誠門人 内田恭嗣編、拾遺 内田恭門人 入沢行篤編

この問題は安島直円が編集したものを日下誠が、次にその門下の内田が解き、さらに同じ問題をまた、その門人が解いている。この問題は八百二十五寸を一辺とした正三角形の中にすべてが整数値になるように次々と斜線を描く、その描き方を問う問題である。

三角内容三斜術・本文 三角内容三斜術・本文 三角内容三斜術・巻初

「拝命の記」写本1冊 明治4年

明治政府になってから、暦を計算する部署の名称は様々に変わった。これは、明治三年(1870)星學局に採用された人々の履歴書である。内田五観の他に最後の幕府天文方であった渋川敬典など9人の履歴書が「拝命之記」として残されている。

拝命の記・表紙 拝命の記・本文 拝命の記・巻初

「自長崎至暹羅航海路推算」写本1冊 宇宙堂主人編

これは、長崎よりシャム(タイ国の旧称)にいたる航海路推算で、球面三角法によって航海途中の場所の経緯度、次の港までの方位角、距離が書かれている。また図解もある。天保甲午(五年-1834)のあとがきがある。図を挟んで、故観斉(内田五観)とある事から、内田五観の書を書き写したと考えられる。

自長崎至暹羅航海路推算・本文 自長崎至暹羅航海路推算・巻初

「自長崎至暹羅航海路推算」写本1冊 高橋卯之助編 (参考)

天文、算學を学んだ佐倉藩士の高橋卯之助も同じ表題で書いているが、こちらは平面三角法によって計算した経緯度、場所によっては方位及び距離が記入されている。

自長崎至暹羅航海路推算・本文 自長崎至暹羅航海路推算・本文

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