トップ

お問い合わせ | English

貴重資料展示室

中国の星座 -歩天歌を中心に-(2005年3月28日〜)

日本で作られた星座の基になったのが中国の星座である。西洋の星座は黄道座標で定められるが、中国の星座は赤道を基準とし、二十八宿上で位置が示されている。星座は、天子が地上で暮らしていたように、天上に昇っても同様な暮らしが出来るようにと創られ、名付けられている。ギリシャ神話を題材とした西洋の星座名とは名称も形も異なる。

最初の中国星座はB.C.2世紀頃の前漢時代に書かれた史記の「天官書」に見られ、その後、甘徳(かんとく)(斉)、石申(せきしん)(魏)、坐威(ふかん)(殷時代)の三人によるそれぞれの星座が出来上がった。それらの星座は、A.D.310年頃、陳卓(ちんたく)(呉)によって集大成された。後世にこの陳卓の星座を詩に歌いこんだのが、『歩天歌』である。

近世になり、星座や星が測天儀などを用いて観測されるようになると、星の位置は赤経・赤緯で計られ、示されるようになった。

〔紫微垣の図〕「星図歩天歌」

『新法歩天歌(しんぽうほてんか)』 刊本1冊

「歩天歌」は、隋の時代(A.D.6世紀末)に丹元子(たんげんし)が、星座、星を読み込んだ詩である。「歩天歌」では、天球上での星座の位置を紫微垣・太微垣・天市垣と二十八宿に分けられた赤道座標で示している。その後、中国の星座の位置はこの体系に習っている。もともとの「歩天歌」は星座図はないようで、この本は図を付けて「新法歩天歌」としたのだろう。出版された年代は不明である。尚この本はその形態から朝鮮本の可能性が高い。

新法歩天歌・表紙 新法歩天歌・本文

『歩天歌』 写本1冊 山路主住(やまじぬしずみ)閲

中国の「歩天歌」に訓点を加えた和本。星図はない。山路主住は明和の頃の幕府天文方。写された年代は書かれていないが、主住閲とある事から、1760年代後半と想定できる。「新法歩天歌」と内容が多少違う。

歩天歌・表紙 歩天歌・本文 歩天歌・巻初

『星図歩天歌』 刊本1冊(折り本)

中国の「歩天歌」に安倍晴親(あべはるちか)が序を書き、小島好謙・鈴木世孝による訓点がほどこされ、長浜尚次による星座の図を加えて、文政七年(1824)に刊本として出版された。この本は、時代は不明であるが、ところどころ張り紙があり、星座を書き加え、又朱書きがなされている。

星図歩天歌・表紙 星図歩天歌・本文 星図歩天歌・星図

『欽定儀象考成(きんていぎしょうこうせい)』 刊本31巻12冊 中国本

欽定儀象考成・本文1 欽定儀象考成・本文2

ドイツ人宣教師ケーグラー(中国名:戴進賢(たいしんけん))等によって観測された恒星の表で、1752年完成。5年後刊行された。星の位置は赤経・赤緯の表示の他に黄道座標でも示されている。また、南の星座には西洋の星座の影響が見られるという。

『赤道北恒星総図(せきどうきたこうせいず)』 刊1枚

赤道北恒星総図

「儀象考成」の約100年後に完成した「儀象考成続編」(ぎしょうこうせいぞくへん)(19世紀中期)に掲載されている星の星座図で、赤道南恒星総図と対であるはずだが、残念ながら天文台には南恒星総図はない。

ページの先頭へ