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貴重資料展示室

改暦の年の頒暦(2004年3月22日〜)

現在のカレンダーは太陽暦法で、明治6年(1873)改暦以降使われているが、それ以前は太陰太陽暦が使われていた。太陽暦の1年の長さはほぼ一定であるが、太陰太陽暦の1年の長さは年によって353日から385日の間で変わっていた。江戸時代、貞享改暦の後は、暦は年々幕府天文方によって計算され、幸徳井家に渡され暦註を施さた。認可された地方の暦師に渡された暦は、刷り増しされ広められた。ここではその中の伊勢暦から、改暦された際の頒暦の暦首に書かれていた注釈を紹介する。天文台には貞享改暦の年の暦は所蔵されていないので、宝暦暦から以降を示す。貞享暦は貞享2年暦(1685)から宝暦4年暦(1754)まで使われた。

暦首は一般にはその年の暦註に始まるが、改暦の際にはその前に、改暦に関しての文言が書かれている。

宝暦暦 版・折暦 1冊

宝暦暦・表紙 宝暦暦・暦首

宝暦暦は宝暦5年(1755)暦から明和7年(1770)暦まで使われた。暦冒頭の文は貞享暦との違いを強調しているが、暦註について書かれた部分を除き、翻刻すると

「一.彼岸の中日は昼夜等分にして天地の気、均しき時なり。前暦の注する所是に違へり。故に今よりその誤りを糺し、是を附書す。よって前暦の彼岸と、春は七日進めて秋は三日進むものなり」

「一.昼夜を分かつと世俗の時、取り惑い多し。よってひとたび翌の字を附書すといへどもなおその惑い解きがたし。故に夜半より前を今夜と記し、夜半より後を今暁と記すもの也

修正宝暦暦(明和八辛卯暦) 版・折暦1冊

修正宝暦暦・表紙 修正宝暦暦・暦首

宝暦13年(1763)の暦に、9月の部分日食が載せられていなかったにもかかわらず見えたことから、修正暦の作業が始まり、明和8年(1771)暦から、修正宝暦暦が使用された。 暦冒頭の文言を示す。「命を/宝暦の新暦調べなる/うけたまわり、ことしより後はしらべたる/法数を用いて頒ちおこなうものなり」

寛政暦 版・折暦1冊

寛政暦は寛政10年(1798)暦から使用されたが、寛政7年天文方に登用された高橋至時によって改暦事業が行われ、中国経由ではあるが西洋暦法を取り入れた暦であった。太陽・月の運動には楕円運動が取り入れられたが、五星については円運動による計算であった。寛政10年暦の冒頭部分は「順天審象定作新暦/依例頒行四方遵用」とあり、その前に書かれている部分は後世の人の書き加えたものである。寛政11年暦冒頭には「寛政九年新暦成/十月/進奏/賜名 寛政暦」と刷られている。

寛政十年暦・表紙 寛政十年暦・暦首 寛政十一年暦・暦首

天保暦 版・折暦 1冊

オランダ語原書から取り入れた西洋暦法による天保暦は天保15年(1844)暦から使用された。改暦作業は渋川景佑が中心になっておこなわれた。

暦首部分に「今まて頒ち(わかち)行れし寛政暦は違えることのあるをもて更に改暦の/命あり。遂に天保十三年新暦成る及び/詔して名を天保壬寅元暦と賜う」とあり、その後ろの説明は時刻制度について、それまで、暦の上では定時法を用いていたのが、一般世間に合わせて暦上でも不定時法を使用することにした理由が書かれている。

天保暦・表紙 天保暦・暦首

太陽暦 版本 1冊

明治5年12月3日を明治6年1月1日として、太陰太陽暦を太陽暦に変えた。明治6年暦太陽暦では、それまでの暦註を廃し、上段欄外に祝祭日を掲載している。しかし、頒暦は間に合わなかったのか、天保暦での略暦が出回っていたようだ。太陽略暦は明治7年(1874)を提示した。

太陽暦・表紙 太陽暦・暦首

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