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貴重資料展示室

第25回常設展示:2001年10月27日〜2002年3月31日
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太陽

太陽は古くから観測されてきた天体であるが、その目的は太陽自身を知ることではなく、冬至の日時刻の決定などであった。1610年ガリレオ・ガリレイは自作の望遠鏡で太陽の黒点を発見し、そのスケッチを残している。

日本で最初に望遠鏡を用いた連続的な黒点観測をしたのは国友藤兵衛 (1778-1840) である。今の滋賀県長浜の鉄砲鍛冶であった彼は反射望遠鏡を何台も作った。彼は自作の望遠鏡で天保六年(1835)正月から1年以上観測を続け、その間の158日の黒点のスケッチが残されている。

江戸後期になると、太陽の活動を書いた書物が中国やオランダから輸入され、和書の中にもそれについて描かれた書物がでてくる。例えば『暦象新書』では黒点の移動図が示されている。他に広く流布した『平天儀図解』、『和蘭天説』にも太陽の紹介のところで黒点の図が描かれている。また、幕府天文方見習渋川佑賢著『星学須知』でも、目次を見ると太陽黒点について1章が割かれている。

今回紹介するのはもう少し後の時代の書物における黒点の図である。

暦象新書』 志筑忠雄著

暦象新書1 暦象新書2

『暦象新書』は、長崎のオランダ語通詞だったこともある志筑忠雄が、ジョン・キール (John Keill) の著書の蘭訳版から、翻訳とともに解釈を加えて書き上げた著書で、ケプラーの法則重力による振り子の現象などをとり上げている。

談天(だんてん)』 侯失勒著 偉烈亜力訳 刊本18巻3冊

ハーシェルの『天文学概論』をもとに英国人宣教師のワイリーが口訳した書物。侯失勒はハーシェル、偉烈亜力はワイリーの漢名である。初刊は咸豊九年(1859)、すぐ日本に輸入されたのか、文久元年(1861)には、福田理軒 (1815-1889 数学者) が訓点をほどこしている。その際、中国本とは内容の順序が変更されている。なお、この『談天』には現在でも使われている天文に関する言葉が、英語から漢訳されており、言葉の歴史を追う点からも興味深い書物である。

中国本、同治十三年(1874)、再販 英文序、術語集付載。国立天文台は『談天』の初刊本、再販本、和刻本を所蔵している。

談天1 談天2

星学図彙(せいがくずい)』 刊本1冊 早乙女文庫

著者、出版年ともに不明。この図彙集には、十二宮図、月の図、流星図、日食月食図、彗星図等全28図が納められている。その中には太陽系図があり、1846年に発見された海王星までの惑星が描かれている。ここでは、第四図に描かれている太陽黒斑 (黒点) の図を提示する。

星学図彙1 星学図彙2
(参考)『和蘭天説
和蘭天説
(参考)『平天儀図解
平天儀図解

星学須知(せいがくすち)渋川佑賢(しぶかわすけかた)

星学須知
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