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貴重資料展示室

日食(1999年4月7日〜11月27日)

日食は、世界中のどこかの場所では毎年見られる現象であるが、見られる場所が限られているので、場所を限定した場合には珍しい現象になる。日食は天文現象の中では見てわかりやすい現象であり、急激に暗くなったり、温度が下がったりと、不気味さがともなうことで、古くから知られており、多くの記録が残っている。

一方、暦法の進歩にも日食は大きな意味を持っている。太陰太陽暦法では、月の運行と、太陽の運行を組み合わせることによって、暦はつくられた。日食は太陽、月、地球が一直線になった時、月が太陽を覆い隠す現象である。太陽と月の運動が詳しく分からないと、実際に起こる日食と暦に予報された日食とが一致しないことがある。江戸時代に用いられた貞享暦法、宝暦暦法、寛政暦法での日食についての記事を見てみよう。

「貞享暦」7巻7冊

貞享暦書・表紙 貞享暦書・本文

 渋川春海の作った貞享暦法は初めての日本暦法であった。その貞享暦法巻二で、日食の計算について、暦の比較が行われている。ここではその中の日食の一例を引く。

元和2年(1616)8月の日食の予報について、その当時使われていた宣明暦では七分の日食が起こることになっているが、記録によると実際には日食はなかった。これに対し、中国の大統暦や授時暦、自分の作った貞享暦法の計算では日食は起こらないとして、貞享暦法の優秀さをアピールしている。

「伊勢暦−明和4年暦(宝暦暦法)」 1折

伊勢暦

当時の官暦である宝暦暦法採用8年後の、宝暦13年(1763)の9月の日食について官暦では食の予報が載せられていなかったが、何人かのアマチュアが4分以上の部分日食を予報し、部分食が見られた。そのために、部分的な宝暦暦改修事業が行われ、明和8年よりは修正宝暦暦法が用いられることになった。明和4年(1767)暦にはいいわけが載せられている。その後、本格的な改暦事業である寛政改暦事業が行われることになり、寛政十年暦(1798)から新暦が採用された。

「今まて 頒行ふ所の暦 日月食三分以下は しるし来たらす こたひ 命ありて浅食といへとも ことことく記さしむ しかれとも新暦しらへ いまたおはらすよりて今まての数にならふのみ」

(いままでの暦では、3分以下の部分日月食は載せてこなかったが、命令があり、どんな日月食でも載せることになった。しかし、新しい暦法ができあがっていないので、旧来の方法でおこなった)

「推日食地球上見食地方法」 写本1冊 高橋至時著

推日食地球上見食地方法・表紙 推日食地球上見食地方法・本文

寛政暦法は、中国経由ではあったが西洋暦法を取り入れた暦法で、太陽と月の運動理論には楕円運動の理論を取り入れて作られ、より精度が高まった暦であった。

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