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貴重資料展示室

江戸時代後期書物に見る「宇宙のはて」
(1996年2月28日-10月19日)

一般公開日の共通テーマが「宇宙のはて」であったので、上記の題にしたが、ここでいう「宇宙」は今でいう「太陽系」の世界である。

徳川吉宗(第8代将軍在:1716-1745)は、西洋天文学による改暦事業を意図したが、残念ながらその死去により実現せず、西洋暦法が取り入れられた改暦は宝暦暦の次の寛政暦法(太陰太陽暦-寛政9年(1798)施行)であった。太陽、月については楕円運動理論が考慮された暦法だったが、他の5惑星については従来の円運動理論を用いている。参考にした書物は、中国で出版された西洋流天文学の書「暦象考成 後編」である。この寛政暦は、新しく天文方に任命された高橋至時(1764-1804)を中心に作られた。

一方、代々、天文方の家柄であった山路才助の参考にした書物は、西洋暦法でも古い天体体系について書かれた中国の天文学百科全書である「崇禎暦書」であった。

その頃、すでに長崎では、オランダから新しい西洋の学問が入ってきており、長崎の通司(通訳)達はそれらについて翻訳したり、解説を書いたりしていた。

ここでは、同時代の書物に書かれている「宇宙」の図を示した。

太陽窮理了解説 寛政4年(1792) 本木良永

作者の本木良永(1735-1794)は長崎の通司。イギリス本のオランダ語訳した書物を和訳した本。コペルニクスの理論を作図したもの。太陽を中心に水星、金星、地球、火星、木星、土星がまわっている地動説の図で、地球のそばに月が描かれている。木星、土星のまわりに小惑星と書かれているが、衛星と考えられる。天王星はまだ書かれていない。土星の外側は恒星が描かれている。

天王星の発見(1781)、海王星の発見(1846)、冥王星の発見(1930)。

太陽窮理了解説・本文 太陽窮理了解説・本文 太陽窮理了解説・表紙

寛政暦書 35巻35冊のうち巻一 天象 渋川景佑他

寛政暦書(35巻)は寛政暦の暦理を表した本だが、出来上がったのは寛政暦施行、約45年後の弘化元年(1844)であった。太陽、月の運動に楕円運動を取り入れるなど、 新しい理論に基ずいた暦法であったが、巻頭に示された「天象」の図は「チコ・ブラーヘの図」で、一時代前の図である

寛政暦書・表紙 寛政暦書・本文 寛政暦書・本文 寛政暦書・本文 寛政暦書・本文

崇禎暦書暦引図編 渋川景佑 安政2年(1855)

「天体、天道 西士歌白泥(コペルニクス)天体古図」

「崇禎暦書」崇禎9年(1636)湯若望

この本は渋川景佑が「崇禎暦書」127巻の中味から部分的にとりだして、「崇禎暦書」をわかりやすく解説した「崇禎暦書暦引」の図編であり、景佑はこの図を、 内容に従って作図したと考えられている。図の説明にコペルニクスの名が書かれているが、間違いであり、天道説に歳差の 二天が加えられている図である。地球を中心に、月、水星、金星、太陽、火星、木星、土星、二十八宿天(恒星)、東西歳差、南北 歳差が回っており、その外側は静止しているという図である。

崇禎暦書暦引図編・表紙 崇禎暦書暦引図編・見返し 崇禎暦書暦引図編・本文 崇禎暦書暦引図編・本文

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