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貴重資料展示室

観測(江戸後期) (1992年3月28日〜6月26日)

提示した図は、「寛政暦書 巻十九(儀象図)」の「垂揺球儀全図」(すいようきゅうぎぜんず)で、振子時計にあたる。左右に振れる垂球の回数が、歯車を伝わって目盛り盤に表示され、その積算値によって時刻がわかる仕組みになっている。

垂揺球儀は寛政初期、麻田剛立らが中国の「霊台儀象志」(れいだいぎしょうし)の垂球の説明から考案したと考えられている。垂球 の1往復を刻む指示盤の1つ目は100にきざまれ、次の盤は歩みを1/10、3つ目はさらに1/10におとされ、1万往復が測定でき、更に別の簡単な 仕掛けによって100万往復まで測れ、1日約6万往復として、誤差は数秒の正確さをもっていたという。もっぱら天文観測に用いられた。

「霊憲候簿」 写本九十九冊

「霊憲候簿」は渋川景佑の官舎であった小石川三百下、九段坂上の自宅天文台での天保9年(1838)11月から弘化3年(1846)12月までの観測記録である。全99冊が国立天文台に残されている。献上本は200余巻で内閣文庫に所蔵されている。

提示した部分は弘化2年10月1日(現行暦では1847年10月31日)の部分で、その日のそれぞれの機械の担当者名、天候が記され、その後に 垂揺球儀で測られた時刻が各惑星名の下に書かれている。

霊憲候簿・表紙 霊憲候簿・一丁表 霊憲候簿・見返し 霊憲候簿・二丁表 霊憲候簿・一丁裏

「寛政暦書」渋川景佑(かげすけ)編 天保15年(1844)完成 写本35巻35冊

寛政暦(寛政10年(1799)施行)は高橋至時(よしとき)が中心になり、西洋天文学を取り入れて作られた暦 法である。編暦は「暦法新書」によっておこなわれたが、暦理については至時が改暦後早く亡くなったこともあり 、纏められていなかった。幕府は渋川景佑(かげすけ)に編纂を命じ、出来上がった「寛政暦書」が、幕府に進献された のは弘化元年(1844)であった。

垂揺球儀全図

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